第4回・霧立越シンポジウム 自然の循環に共鳴する作法の極意
② 第2部 インディアンのくらしの作法に学ぶ
語 り ジェラルド・ワン・ベア氏(アメリカ先住民族・インディアン儀礼伝承者)
聞き手 与田一男氏(フリージャーナリスト)
与田 ワンベアさんは、アメリカの先住民族として貴重なインディアンの暮らしをご経験された方ですが、日本に関心を持たれて来日されているとお聞きしています。まず、日本に関心を持たれた動機といいますか、きっかけはどんなことでしょうか。そのあたりのお話からお伺いしたいと存じます。
ワンベア インディアンの暮らしと日本の暮らしはですね、いろんなところで共通点があるような気がしています。一番気にしたのは、日本の義理人情の作法にびっくりしました。日本には、他の外国人と一緒に来たのですが、他の外国人は白人だから義理人情については全然知りません。わたしたちインディアンはですね。義理人情がもの凄く厚いです。
父が、いつも私に言い聞かせていました。それは、「人のお世話にあまりならない方がよい」ということです。もし、お世話になったら、何年も後になるかも知れないけれど、その人が来て「こういうことを頼みますからよろしく」と言われたら断ることができなくなるというのですね。どんなことを言われても。だから父は、あまり人のお世話にならない方がよいと言っていました。後でどうしても返さなければならない恩義になるからですね。
インディアンたちは、日本と同じで世話してもらったら後で逢って挨拶をする時「このあいだはどうもありがとうございました」という。それは、何年前のことかも知れませんが「このあいだはお世話になりました」というのは、日本人と同じですね。
その上に約束をすれば、あとでその約束を破ることができませんからね。父はいつもそのことを言っていました。「簡単に約束をしてはいけない」と。その点では、僕はいつも気にしていました。日本人も同じですね。
他の日常生活でもよく似ています。例えば、私たちのリザベーション(インディアン居留地)でインディアンが住んでいる時ですね。男の人と女の人は道を歩く時、女の人は1メートル半位下がって歩くのです。今でも。
日本では、今はそういうことはやっていないけれど、日本にもそういうことがありましたですね。私たちは、まだそういう習慣を持っています。もちろん、この頃の若い女の人達は、ウーマンリブの考え方にリザベーションはなってきましたけれども。まだ、そういうことを守っています。
例えば、市民センターや会館、人の家などで集会があるとします。どこかで皆んなが集まったら、女の人と男の人は別々ですね。男の人は、部屋の真ん中に座って丸く輪になって椅子を集めて座る。女の人たちは、その後ろに座って、そして女の人たちはあまり声を出さないですね。口を出さない。静かですね。口を出したらよくないですね。礼儀が悪いとされる。もし、誰か女の人に「それは、そうじゃないですか」と聞かれたら「しゃべってもいいですか」と聞いて「どうぞ、どうぞ」と言われたら、その時だけしゃべる。その時質問に答えたら、あとは黙っている。今でも、女の人はじっと下を見つめているね。うつむいている。男の人の顔は、ほとんど見ないですね。すごく厳しい。厳しいというより封建的ですね。アメリカインディアンの社会は、まだまた封建的ですね。
僕はね、昔33年程前日本に来たことがあります。誤解しないでね。今の日本は、封建的ということではありませんが、33年前来日した時、今より封建的なところがありましたですね。そこが、インディアンの生活に似ている。だから、一緒に来日した白人達は、日本のことを理解できなかった。しかし、私はそういうショックはあまりなかったですね。インディアンの社会とよく似ていると思いました。
与田 インディアンの暮らしは、自然を敬い、自然と共に生きているというふうに言われていますが、そういう暮らしの作法みたいなものは、小さい頃から訓練とか教育を受けられるのですか。
ワンベア そうです。自分の経験からいいますと、私は小さい時、だいたい5歳くらいの頃から始まったと思いますね。お祖父さんが、夜、自然なところに連れて行って、そこで座らせて、そしていろんなものに触らせる。石とか、土とか、葉っぱなんかですね。土に手を当ててじーっとしていて、土の匂いや手触りを感じる。そして、ずーっと2時間位居て、虫の声を聞いたりする。すると、お祖父さんは「あの虫は何々という虫だよ」と教える。あの虫は、例えばこういうことをするとか、毒じゃないとか、薬として使っているとか、いろんなことを教えはじめるのですね。
そして、昼にはまた、同じような自然の中へ連れて行き、半日位そこへ座らされて、動くことが禁じられる。少しでも動くと怒られる。じーっとそのまま座っていたら面白いことが起こりますよ。動物たちが出てきます。そこで、お祖父さんは「動物たちは、私たちの親戚なんだよ」と教えました。私たちの親戚。
このスキー場からは動物達は見えないけれど、動物たちは私たちを見ていますよ。そして、動物たちに悪いことをしないならば、じーっとしていれば、出てくるのですね。そして、どんどん近づいてくる。そこで、動くなら、ほんの少しでも動くなら動物たちは逃げてしまう。そういうことを習いました。
その他にもいろいろと教えられました。時々、山の中に連れて行き、風の音を聞きましたですね。風の音には歌がありますよ。風は歌います。しかし、人間は、いつでも他のことを考えているから、注意していないから聞こえない。じーっとして、心を集中していないから聞こえない。その歌は、時々変わります。風は葉っぱの中を通りますね。その時、風や葉っぱで歌が変わる。いろんな風の吹き方があります。そういうことも習いました。
僕の叔父は、若い時はアメリカ騎兵隊と戦いました。だから、つわものですね。僕が生まれた時は、もちろん戦争はなかったけれど、白人と戦争はしていないけれど、いろんな訓練をさせられました。
例えば、カリウタね。川に行って小石を探して、自分に合う小石を見つける。そして、それを口の中の舌の下に入れて走ります。向こうの遠い山まで走って登り、そして帰ってくる。これは、夏の暑い時訓練します。子供の小さい時ですね。走っていれば水が欲しくなる。すると小石を舌の下に入れているので唾液が出ます。それを飲んでいると水が欲しいという気持ちはなくなるのですね。それをマスターしたら、今度は皆集まったところで水をくれる。その水を口に含むと「その水は飲まないでっ」と言われる。そして、同じように向こうの山に走って行き、そして帰ってから水は口から出す。もちろん最初からはできないですよ。子供はね。すぐ飲み込んでしまう。しかし、繰り返しこれを訓練するとあとではマスターすることができる。
枯れ草の上を音をたてずに歩く訓練もありましたですね。歩く時、音をたてたら命を落とすかも知れない。敵に聞こえるからね。乾いた草の中を音をたてずに歩く。音がしないような歩き方は、今でも私はできますね。
弓の作り方、矢の作り方も習いました。石で矢の先を造る作り方もですね。現代では、僕の部族と僕と他3人の人しかできない。現代の若者はもうできませんね。僕は、もう下手になりましたけど、練習すればきれいに石の矢先は作れます。
一番大切なことは、動物や昆虫などの生き物、木や草、花、生きているものすべてが皆私たちの親戚であるということです。だから、それは大事にしなければいけない。理由なしに殺してはいけないということです。
インディアンの子供たちには、今でも教えています。例えば、蟻の巣を見るとします。白人の子供たちは、すぐ踏み潰しはじめるでしょう。インディアンの子供たちは絶対しない。今でも。それは、親戚だからですね。ああいうことをすると大変だよ、次の人生は。あんたは、蟻に殺されるかも知れないよとね。
もちろん、われわれインディアンは、自然のものを全部使いました。生き物を食べてきました。しかし、生き物を殺す時は、殺してから必ずインディアンの線香を上げています。線香は草の葉っぱでできています。その草を燃やすとすごくいい匂いがします。それをいつでも動物を捕りに行く時は持って行きます。そういうものをハンターは持って行くのですよ。
動物を殺したら、すぐ線香を点けてお祈りします。セレモニーですね。「すみません、命を奪って。ほんとうにありがとうございました。本当は、命を奪いたくないけれど、家の子供たちがお腹空かして泣いている。食べ物がない。だから、体をくれてありがとう」と。インディアンたちは信じています。動物は、体を私たちにくれることを。
白人は「あなたたちは、動物をあなたの親戚と言っているけれど、殺しているでしょう」と言います。それは、そうだけど、しょうがないですよね。私たちは、生きているのですから。アメリカインディアンは、スポーツハンティングは絶対しません。スポーツで動物を殺したりはしませんね。魚を捕りに行くのも、その日の一日分だけ捕ってそれ以上は捕ってはいけない。
昔のつわものは、戦争に行く時いつも仲間に言っていました。「もし、今日私が命を落としたら、私の体はそのまま置いて行ってください」と。これは、自分の体を動物に上げたいからです。「私は、ずーっと動物の体を食べていたから、今度はお返し」とね。そして「1週間後でも2週間後でもいいから私の骨を集めて葬式してください。」そういう気持ちがありました。インディアンはね。
今でも私たちは、この世の中は、例えば、人間は別、動物は別、木は別、という気持ちはないですよ。命はこういう3個みたいですね。一番上は、生まれるでしょう、若い時ですね。そして、大人になる。そして死に至る。それは自然だと思うのですね。
私が覚えていることでこんなことがありました。ある日、お祖父さんと歩いていたら美しい花があった。僕は、それを採ろうとしました。そしたらお祖父さんは「だめだ」と言いました。僕は「だって欲しい」言いましたら、お祖父さんは「そのまま見ていなさい。花や草や木は皆んな生きている」と言いました。僕は、まだ子供だったのでその意味を理解することができなかった。けれど、後になってそのことがわかりました。私たち人間は、生きている時はいろんな葉っぱや木の実、それから植物の根などを食べるでしょう。私たちが死ぬと土に戻りますね。そして、植物たちの栄養になる。そういう自然の循環の中に私たちはいる。そのことが分かったのです。
与田 では、あの世といいますか、死後の世界、スピリット(精霊)の存在についてはどのようにお考えでしょうか。
ワンベア インディアンは死ぬことに恐れないですね。失礼ですが、自分のことを言いますと、つい、1週間前に母が亡くなったのですよ。僕は日本へ来ていたので帰れなかった。ガンが急速に進んで、87歳で亡くなりました。電話で妹が言いました。「母は全然怖くなかったよ」と。亡くなる10分程前に笑顔で「もうすぐ、いいところへ行くよ。死んだ夫と、もうすぐ一緒になるんだよ。幸せよ。」と言ったそうです。それを聞くと、僕はもう気持ちが落ちついてきました。そうした気持ちなんですね。
お祖父さんは、よく僕に話してくれました。「この世の中は、本当の世ではないんだよ。これは、夢だよ。あなたが死ぬと、この向こうの本当のところへ行くんだよ。今は夢だよ。」と。お祖父さんは、本当にこのことを信じていたのですね。だから、アメリカインディアンは、死ぬことをあまり怖く思わないのですね。もう、自然だと思っている。
ある時、僕はお祖父さんに「お祖父さん、皆んないつかは死ななければならないんだね。僕は怖い」と言いました。すると、お祖父さんは「怖いことはないよ。だってあんたが生まれた時怖かったですか」と聞かれました。私は「知らない」と言いましたら「その時と同じだよ」と教えてくれました。
先程、日本の文化とインディアンの文化は似ていると言いました。例えば、日本の昔の武士は、死ぬ前に詩を書きました。辞世の句を書きましたですね。アメリカインディアンは歌をうたいます。その歌は、自分で作って誰にも聞かれないところで練習をします。そして、死ぬとき歌うのです。我々には文字が無かったから歌をうたった。日本人は文字で書いた。インディアンの歌は、日本の詩に似ているのですね。
例えば、「この世の中で、山はいつまでも同じようにはしていないから、私も山とおなじように変わっていく。もうすぐこの世を出て行きます。」などと歌うのですね。
だから、人類学者は言います。「インディアン達は、アジアからアラスカのベーリング海峡を渡って入って行ったのではないか。モンゴリアンの種類ではないか」と。僕の赤ちゃん時代は、裸にするとお尻にこんな大きな青があったんですね。で、私の子供は、半分は日本人だけどやはり青がありましたですね。だから、確かに関係があるのです。僕が日本に来た時、日本人は他人のように思えなかった。やはり、日本人に関係があると思いましたですね。
僕の父は、部族のメディスンマンでした。日本では、シャーマンといいますね。インディアンは、宗教と医学は区別ができません。父は、他人の体も精神も治しました。父は、「頼むよ」といってお祈りします。「来てください」と呼ぶ。「来て治療してください。助けてください」といってスゥエットをする。スゥエットは日本で何というかな。そう、サウナみたいですね。
いくつかの木の枝を地面に差して、上部を丸く曲げて結び合わせた小さな小屋を作ります。その上に昔は動物の皮を掛けて屋根を作り、小屋の真ん中の地面に穴を開けます。今は、動物の皮の代わりに毛布やカーベットを掛けます。小屋の外では、山から石をいろいろ集めてきてその石の上で火を燃やします。すると、石は焼けて真っ赤になりますね。その真っ赤になった石を小屋の中に運び込み、皆んなその小屋に入って、その石に水をかけるんですね。すると、熱い蒸気が出ます。行事をするには、この蒸気を掛けなければならないのです。時々、父は「スゥエットしましょうね」と言いいました。「今日は、あなたの叔父を呼びますから、むずかしい仕事をしますから」と言ってスゥエットをしました。だから、我々インディアンは、スピリットはよく信じています。
人が亡くなると、子供は必ず他のところへ連れていくのです。どうしてかといいますと怖いからです。もし、おばあちゃんが亡くなったら、大好きな孫を連れて行くかも知れない。だから、なるべく子供は、死んだ人の近くには行かせないのです。1週間位、村の外へ連れて行っています。亡くなると、インディアンのスピリットは4年間は、この世にいるとされるのです。
ですから、この前亡くなった僕の母には、写真の前に水と食べ物を供えているんです。すると必ずスピリットは来るのですよ。来た時は、水と食べ物がなければ怒るかも知れない。怒ったら後で大変ですよ。家はだめになっちゃうかも知れない。そのスピリットはよく信じていますよ。よいスピリットと悪いスピリットがあります。
与田 なるほどですねえ。それから、インディアンの方はですね。自然界の変化、気象の変化、地震などの予知をなさると、以前何かの本で読んだことがありました。それは、どういうことでしょうか。
ワンベア はい。それはわかります。ものすごくよい天気で、空は真っ青に晴れ渡った快晴の時、お年寄りやメディスンマンは「今夜は、雪が降るよ」と言うことがあります。「皆んな、寒さの用意をするように」とね。すると白人の人達は、笑っちゃうのですよ。しかし、それが当たるのですねえ。それは、何故当たるかといいますと、動物をよく観察しているからなんです。
僕が子供の頃、メディスンマンのところへ遊びに行きました。その時メディスンマンは「あなたは若くて丈夫だから、今から木を切ってくるように」と言われました。「今夜は、大雪になるから」と。その時、僕はそんなことは信じられませんでした。でも、失礼になるから「はい、わかりました」と言いました。彼は、相当年をとっていて97歳くらいでしたから、言われたとおりにやりながら「こんな良い天気に、この伯父さんボケているんじゃないか」と思いました。ところが、夕方になると黒い雲が流れるようらなり、夜は、大雪となりました。すごい大雪でしたよ。
次の日、僕は聞きました。「伯父さんは、なんで分かるの、ああいうことが」と。伯父さんは言いました。「よく自然を観るとわかるでしょう」と。その頃僕は、カナダの近くのモンタナ州に住んでいました。彼は「カナダのもっともっと北の方のアラスカには、大きな白いフクロウがいる。そのフクロウが空を見上げていたら飛んで来た。フクロウは、嵐から逃げていることがわかったのだよ」と。
我々が住んでいるところに、時々白人がハンティングに来ていました。我々は、「今日は、山に入らないがいいですよ、山が荒れるから」といいますと、白人は笑っちゃうのです。そして、白人は山に入りその後天候が荒れてきて遭難して死んだりするのですね。
あれは、今から7~8年前のことです。ワシントン州のマウンテンラナという火山が爆発しました。その時、280人くらいの人々が死にました。しかし、そこに住んでいるインディアンは、1人も死ななかった。インディアン達は、白人に「逃げよう、逃げよう」と言いました。白人達は「インディアンたちは、おかしいですね。子供みたいですね」と言いました。インディアンは、なぜそう言ったか。それは、モグラやヘビを観ていたのですね。土の下に住む動物達は、皆んな逃げたのですよ。そこで、何か起こると感じたのですね。そして、白人は死んだがインディアンは逃げて1人も死ななかった。
だから、自然をよく観察すると勉強になるんですよ。動物たちからいろんなことを教えてもらうのです。今、僕は日本に住んでいるけれど、庭の蟻の巣を観ています。蟻は、天気のよい時は一生懸命ものを運んでいるけれど、雨の前には巣の穴を塞いでいる。僕はそれを見て「もうすぐ雨が降るよ」と家内に言いました。家内は、「何で分かるの」と言いました。蟻は、雨になると巣の中に水が入るので巣穴を塞ぐのですね。
白人たちは、インディアンを魔法使いのように言う人もいるけれど、そんなことはありません。ただ、自然を見ているだけですよ。自然を見ていると何でも分かる。本当に動物は利口ですよ。
人間は、戦争を起こすでしょ。動物たちは戦争を起こさない。動物は「人間は、何て馬鹿なんだろう」と見ているかもしれませんね。だから、動物を見ることは、すごく大事なことだと思いますよ。
子供の頃、お祖父さんは「動物たちは、皆んな親戚だよ」と教えました。だけど僕は、あまり信じられなかった。ところが、大学に行って勉強して、動物の生理学、生態学を学びました。生物は、すべて海から生まれた。そして、進化を繰り返し、陸上へも上がって進化を続け、いろんな生物が誕生した。人間も基をたどれば、すべての生物と一緒になる。そういうことを学んだ時、お祖父さんの言っていた「動物たちは皆親戚」と言う言葉を思い出しましたね。私たちは、いろんな動物たちと関係があるんですよ。だからインディアンたちは、今でも動物たちを大事にしていますね。
昔、インディアン達は、動物を殺すと肉だけではなくて全部使いました。皮は、洋服と靴になり、内臓は、川でよく洗って乾かして袋にした。骨は、生活の道具になり、脚は、お湯でぼくぼく煮ると糊が出る。スジは、紐として使う。もし、角があればそれも道具になる。全部使いました。「動物を捕って、肉だけ食べてはいけない。全部使わなければいけない」と教わりました。「自分が必要としないならば、他の人にあげて使うように」とね。そのまま捨てるようなことは良くないと教わりました。
与田 ありがとうございました。もっともっとお聞きしたいのですが、時間が参りました。また、このあとのパネルディスカッションの中でもお聞かせ下さい。(拍手)