霧立越ドキユメント
アドベンチャー「深山幽谷の森を行く」
ヤマシャクヤクが招く
朝、目覚めた途端「どうしても今日でなければ今年はだめではないか」との思いが強くなった。03年5月8日の朝のこと。ヤマシャクヤクの大群落が夢に現われるのである。
白岩山岩峰から崖直下の深い谷間を見下ろすと一年中草が生えない部分が見える。双眼鏡で覗くと鹿がゆうゆうと寝そべっていたり、潅木の枝の若芽を食んでいたりする様子が見られるところだ。そこは鹿のコロニーみたいなところで、あたりの草本類は鹿が食べ尽くしているから森が剥げて見えるのである。
かつてキリタチヤマザクラの植生調査で人が入らないそこへ降りたことがある。すると、あっちこっちから鹿が飛び出したが、その剥げて草もないところにヤマシャクヤクの大きな株がまるで造られた公園みたいにあちこちに点在していた。たしかヤマシャクヤクはキンポウゲ科だ。キンポウゲ科の植物は毒があるので鹿も食べないのだろう。そのヤマシャクヤクの開花時期は今だ。どんな様子をしているだろうかと気になるのである。
昨日、白岩山のシャクナゲルートをガイドした。すると岩峰付近のヤマシャクヤクが満開近くになっていたのだ。今日行けなかったら後は日程が詰まっているので今年はそこの開花状態を確認できないかも知れない。ついでに、昨年「ガゴが岩屋」を探したが見つけることが出来なかったので今年も続けて調査したい。草木の葉が茂ると見透しが利かなくなるので今でなければ調査出来ない。
ガゴが岩屋
昭和40年代の中頃だったと思うが白岩山の西南側山中に「ガゴが岩屋」を訪ねたことがある。地元の猟師さんたちと日肥峠から耳川源流を降りて辿りついた。その岩屋は床や天井が平らな岩盤でできており出口の方が少し狭くなっている。岩屋に入ると大きな炭窯の中にいるような気がした。その時「これは人が住んでいたのではないか」と直感的に思ったのだ。
子供のころ悪さをすれば、「ガゴがくるぞ」と脅されていた。そのガゴとは一体何者なのか誰も知らない。椎葉の方々にもガゴの話しを聞いたところ、高齢の皆さんは一様にガゴの話を知っている。「悪さをすればガゴが出てくるという」。その「ガゴ」が住んでいたとされる「ガゴが岩屋」付近には昔、鍋や茶碗類のかけらを見たと古老たちはいう。「ガゴ」とは修験者ではないかと最近思うようになったのである。深山幽谷の地、霧立越で修験者、いわゆる「山伏」が暗躍していたかも知れないのだ。
鞍岡に伝承されているタイシャ流古武術は元々は人吉の丸目蔵人が開眼した武術であるが、鞍岡に伝承されるタイシャ流の秘伝書には一能院友貞とある。「院」は山伏にも通じる。極意とされる「白刃」の演武は山伏の武術に見える。また民俗芸能の臼太鼓踊りに登場する山伏問答もそんな暗示を与えてくれる。近年発見した幻の滝も、近くの住民から聞く伝説はどうも修験者の臭いがする。明治政府が出した修験道禁止令により山伏は消息を絶ったのかもしれないのだ。
昨年3月、「ガゴが岩屋」を探しに出かけたが見つけることができなかった。「ガゴが岩屋」を訪ねてから三十年近い歳月が経ち、深山幽谷の地にも林道ができ原生林はところどころ伐採されているので付近の自然はその時とは大きく変わっている。記憶の場所が定かではないのだ。今、「ガゴが岩屋」の場所を知る人はもうほとんどいなくなった。その「ガゴが岩屋探険」が今年は今日しかチャンスがないかも知れない。そう考えたら、もう、居ても立ってもいられなくなったのである。
事務所へ行くと早速「今日は、白岩山から日肥谷へ単独行して椎葉の尾前の奥にある林道へ下山する。夕方無線を持って椎矢峠下の林道で待機してくれ」と霧立越ガイドのベテラン吉村君に告げた。彼は、午後からプライベートな用があるとなにやらぼそぼそと言っていたが根っからの山男である。「降りてこない時は探しに来てくれ」。そういうと、目を輝かしながら「午後4時頃に行って林道で待機していればいいんですね」と応えた。白岩山から遥か彼方の谷底に下り、再び原生林を登って帰るのは1日の行程としては難儀だ。そのまま林道をめざして下れば夕方まで森を歩くことができ、1日の行動範囲を広げることができる。地図に待ち合わせ場所のポイントを描き込んでコピーして渡した。森で迷った場合は、この地図でお互いの居場所を無線で確認できる。
白岩山岩峰から
空を見上げると昨夜来の雨は止んでいたが、霧立山地はガスに覆われていた。天候はなんとか回復しそうである。登山靴にスパッツをしっかり着け、地形図、雨具、ロープ、急救薬、ナイフ、カメラ、双眼鏡、釣竿に仕込んだ杖など7つ道具を入念に点検して標高1400m地点の登山口、ゴボウ畠に向って車を走らせた。釣竿に仕込んだ杖は、するすると伸ばすと頭上の木などにロープをかけることができ、崖地などを移動する時威力を発揮する。本来はキリタチヤマザクラ調査の時、頭上の高い枝の花を採集して確認するために拵えた道具だが、幻の滝を探険した経験からロープ掛けにも使えるよう工夫した万能の秘密道具だ。
ゴボウ畠で車を降り、身支度を再点検し無線のテストを行って白岩山に向かう。道中は、ミツバツツジの赤紫の花があちこちにぽっぽっと咲いて森に明かりを灯したようにその存在を示している。歩くこと1時間で標高1620mの白岩山岩峰に辿りついた。ここで、地形図を広げ山頂から俯瞰する地形と照合しながらルートを検討する。
先ずは、遥か岩峰直下に見えるヤマシャクヤク群落である。双眼鏡で覗いてみるがヤマシャクヤクかどうかも見えない。遠くて花が咲いているかどうか確認できないのだ。降りて行って確認する他はない。そこへは、岩峰から左に回りこみ岩峰の基部沿いに降りていくと辿りつける。ここまでは簡単な行程だ。そこから先が問題である。ガゴが岩屋は、日肥谷を下りて白岩谷を遡上する途中にあったと記憶している。その時、日肥谷と白岩谷の吐合い、合流点まで下りたかどうかは定かではないのだ。
岩峰基底部に降りて白岩谷をそのまま吐合いまで下る。そこから日肥谷を遡上して林道に上がる。これは5キロ以上ありそうだ。夕方まで林道に上がれるだろうか。それより岩峰基底部から横に進んで尾根をひと回りして下り一旦林道に出て日肥谷に行った方がいいかも知れない。地形図を読んでも、岩峰から俯瞰しても、どちらもかなり険しそうである。すべては現場の地形しだいだ。臨機応変に判断する以外にない。何が起るか分らないのだ。意を決して、先ずはヤマシャクヤクの群落地へ下りることにした。
初めて見るヤマシャクヤクの大群落
白岩山岩峰から岩峰基底部に向って急斜面を降り始める。ここは、かつてキリタチヤマザクラ調査で何度も降りた場所である。長い年月をかけて岩峰から崩落した石灰岩の砂礫が一面を多い、足を踏み出すたびに砂礫とともに足場が流されていく。砂礫地とスズタケが繁茂する堺の安定した場所を選びながら急斜面を降りていく。ルイヨウボタンやヤマシャクヤクがポツンポツンと花を咲かせている。シャクナゲも淡いピンクの大輪を開いている。
斜面の中ほどまで降りたところで、ピュー、ピューと鹿の呼ぶ声が聞こえはじめた。それに応えてこちらも口笛をピーッ、ピーッと吹いてみる。パラッパラッという小石の落ちる音が聞こえるのでその方を見つめると鹿が白いお尻を見せながらミツバウツギの潅木の中を横切って消えた。ここからは、完全に人間の世界から隔れた獣だけの生活圏に変っていくのだ。携帯電話も無線も通信できない深い森である。足を傷めたりして動けなくなっても誰も助けに来てくれない場所だ。そう思うと途端に緊張感が全身を走る。
やがて、苔むしたシオジの巨木の下から湧き水が噴き出している地点に到達する。耳川の水源地である。その沢伝いに降りていくと見事な大輪の白い花を数十個つけた大きな株立ちのヤマシャクヤクが見えてきた。白岩山岩峰付近で見るヤマシャクヤクは、一本一本であるが、ここで見るのは数十本が1株となって1株の直径は1m以上もある。その株立ちの葉の上に数十個の大輪の白い花をつけているのである。始めて見る光景だ。それが木立の中にあちこちに点在している。
カメラを取り出して夢中になってシャッターを押しまくる。が、もどかしい。カメラのファインダーはそれらの佇まいや広がりを見た目のように映し出してくれないのだ。
下るほどに斜面が緩やかになり、尚も降り続けると沢の合流点が見えた。その上部は小さなデルタ地帯となっている。そこは、樹木も草もなくヤマシャクヤクだけが手入れされた公園のようにあちこちに株立ちして大輪の花をつけている。
これまでみたこともない光景だ。しばし見とれて忘我の境地となっている自分に気付く。なんだか自分1人だけで見るのがもったいない。自然界のダイナミックさ。大輪の花の楚々とした美しさ。こんなに大きな群落。しかも、一本一本ではなくて始めて見る大きなヤマシャクヤクの株立ち。誰も知らないこんなところに。このような光景があろうとは。不思議だ。まさにそこは聖なる場所のように思えた。
盛んにシャッターを押して、もうこれ以上のシャッター角度は自分の技量にはないと思うようになった途端、空腹を感じた。沢の吐合いに降りて平らな石を選び、その上に腰をおろし弁当を取り出す。聞こえるのは野鳥の声と小さなせせらぎだけだ。
すると後ろの方でパリッと音がする。ギクリとして思わず振り返るが何も見えない。また弁当に目を向けると、どうも後ろや目の届かないところからこちらの方を向いている視線があるように感じる。鹿が遠くから見ているのかもしれない。猪だろうか。気のせいだろう。熊は絶対いないはずだ。恐怖感をあおるような想像を打ち消しながら弁当を食べていると全身で五官を研ぎ澄まし、周囲の気配を感じ取ろうとしている自分がそこにはあった。
食事が終ってしばらく休息をとろうと思うがどうも落ちつかない。小さな沢の水際を目線で追うと洪水の時えぐり出されたと思われる剥き出しの岩盤が斜めに地底に入っている。平行して紫がかった黒い粘土様の層がある。手にとって見るとまさに粘土、オンジャクだ。これは断層岩と呼ぶ。地層断層のシンポジウムで講師の先生から教わった。断層が起きた時、その断層の破砕帯を数千℃もの熱水が長い年月通過したことによって岩石が変性して粘土状になったもので粘土であっても断層岩と言うのだそうだ。白岩山の巨大な石灰岩塊が海底から衝上断層によって押し上げられた時、その過程で破砕帯を熱水が、この部分を流れていたのだ。
沢の水中に視線を移すときらきらと光るような岩石が見えた。手にとって見ると方解石だ。東京の写真家で高山植物図鑑などを手がけている木原さんを白岩山にご案内した時、同じような石を見つけて持ちかえり、宮崎の総合博物館の斉藤さんに託した。その結果、方解石という返事をメールでいただいたことがある。方形に割れることから方解石と呼ばれるらしい。水晶のように透明感のある石である。石灰岩や大理石を構成している方解石は、海水に溶けている二酸化炭素とカルシウムから、生命活動や化学反応で形成されたという。方解石の形成は大気中から二酸化炭素を取り除くのに役立ったというのである。生命体としての地球環境を形成した物質のひとつだ。漢方薬としても使用されるという。
弁当を仕舞い込んで立ちあがり、再び吐合いから次の沢を上る。その先には、白岩山岩峰の頂上から見える剥げ地がある筈だ。狭い沢を少し上がると急に視界が開けてきた。生々しい動物の爪跡があちこちにある。先ほどまでここに鹿がいたのだ。私の気配をうかがっていたのであろう。と、視線を上げると、あるわあるわ、今を盛りにヤマシャクヤクの花が満開である。大きな株に数十個の白い大輪の花をつけて風に揺れている。その株が連続して面となってお花畑を造っている。ところどころにルイヨウボタンも群落を形成して存在を誇示している。行けども行けどもヤマシャクヤクの株が次から次へと視界に入ってくるのだ。なんとまあ素晴らしいことか。双眼鏡では見えなかった世界だ。
沢を横切るとそこにもヤマシャクヤクの群落が続いている。どれくらいの数があるのだろうか。おそらく数千本以上あるに違いない。この付近は、一度伐採された跡地のようだが他の植物は鹿に食べられ消滅したのであろう。ミツバウツギやシロモジなどの潅木が点々とあるのみだ。鹿がこの環境をつくったのだ。一般的に人間は美しい自然を見るとそこをそのまま保護しようという発想になる。鹿が造った美しい自然は、人間が保護しようとしてもそれはできないだろう。自然界は偉大だ。保護などという発想こそが人間の傲慢さの表われだ。そんなことを思いながらその美しい不思議な光景に見入っていた。
白岩谷の苦闘
どれくらいの時間が経ったのだろうか。カメラの残りの枚数も少なくなったことに気付いた。そろそろ次の行動に移ろうとカメラをリュックに仕舞い込み、地形図をとりだした。このヤマシャクヤクの群落地を横切って尾根に出てもその先は急峻である。この沢は下流まで地形的には緩やかなようだ。昔人はこの沢を歩いたかもしれない。その下には林道が間違いなくある筈である。このまま沢を降りていくことにした。
最初の100m位は、小さな谷川で実に快適な沢下りが続く。ジュウモンジシダが茂り、苔むした岩を飛び渡りながら歩く。あちこちに巨大な倒木が谷を跨いでいる。その苔むした倒木の上を右に左にと渡りながら下り易い地形を捜して歩く。巨大なクロズルカズラが頭上の木から垂れ下がっている。それをつかんでぶら下がり次の岩に渡る。「こんな環境のところを霧立越のお客さんにも案内したいなあ、きっと感激されるだろうなあ」と思いながら下る。その内、両岸がしだいに狭くなってきた。左岸から谷が合流するたびに水量が増えていく。地形図を取り出して見ると、これから下の沢筋は谷の等高線は緩やかだが両岸がかなり迫っている。やがて両岸が迫っている地形図の意味を体験することになる。
更に谷を降りていくと、また左岸から谷水が合流している。弁当を食べた地点からこれで3回目の谷の合流である。相当水量も増えてきた。しだいに両岸は切立った崖となり足場を探すのが難しくなった。流れの中でチラッと動くものがあった。ヤマメだ。こんなところまでヤマメがいるのだろうか。動きが速い。これは純粋に天然ものだ。ここには釣人も入ったことがないだろう。人間に接したことのないヤマメがいる。また感動してしまった。
このあたりから下るほどに両岸はいよいよ迫ってきて天は頭上だけにしか見えない。谷は小さな連続瀑を造っている。かろうじて絶壁に垂れている木の根をつかんでは渡っていたが、いよいよ足場が確保できずに沢下りができなくなった。両岸には黒い岩肌が不気味に迫っている。さあ、どうしょう。思案の末、左岸の岩場を登り、遠巻きに迂回して下りることにした。
ツガの木の張り出した根やクロモジの幹に掴りながら1歩1歩岩場をよじ登る。ほどなく馬の背のような尾根に上がった。急峻な尾根伝いを登る。岩場の尾根は実に登り易い。ツガやゴヨウマツが落した枯れ葉が敷き込まれたようになっていて草が繁茂しないので帚で掃いたように林床が美しい。見とおしもよい。尾根を少し登ると次の尾根とに分岐していた。次の尾根を目で追うと、その先は谷が深く廻り込むその奥に向って下がっている。この尾根を下るとなんとか沢に戻れそうである。
その馬の背のような次の尾根を辿って下っているとなんとなく古道を歩いているようだ。ふかふかした落ち葉の上はとても歩き易い。しめた、もしかして昔の人が歩いた道だろうか。そう思いながら足早に下っていくと突然絶壁の上に出た。岩場から突き出ている木にしがみついて下を覗いて見ると垂直に切立った崖である。その下で絶壁を縫うようにして白いアワをみせながら谷は蛇行している。
古道を歩いていると錯覚したのは獣道であった。馬の背の正面からも左右どちら側からも下れそうにない。弱った。仕方ないので再び降りてきた方向へと登って引き返す。再び尾根の分岐のところへたどりついた。木の上に登って地形を確認する。するとその尾根の南側は内側に深く湾曲した崖地でその先にもう一つの尾根ができて下っている。その下には林道がありそうだ。その大きく湾曲した斜面には潅木が茂っている。潅木が茂っているということは、崖地であっても掴るところが続いているということだ。意を決してその湾曲している岩場の中に入ることにした。
枯れ枝に掴って、もし折れでもしたら転落間違いなしだ。慎重に足場を選びながら下る。ここにも鹿道がある。その鹿道を辿り潅木に掴りながら右に左に足場を探り、かろうじて谷におりることが出来た。水際に近づくとヤマメがさっと身をひるがえして岩の中へ消えた。結構魚影は濃いようだ。そこに広がっている平べったい岩の上に跳び移った。とたんに、足元から2mほどもあるアオダイショウが突然動きはじめた。木の枝と思ったら蛇が岩の上で寝そべっていたのである。思わず「うわあっ」と声を張り上げ飛び下がってしまった。アオダイショウはゆっくりと体をくねらせながら水中に入り、頭を立てて水面を渡って向うの岩場の茂みに入りこんだ。その岩場には、ピンク色のウツギの花が咲いている。人里で見るウツギの花より美しい。当初は桜かと思ったほどだ。
蛇の泳いだ谷の水を思いっきり口に含み飲みこんだ。そうとう体は疲れている。へたへたと蛇を追い出した岩の上に座り込んだ。落ちついてまわりを見回して見ると、この下は小さな滝となっていてその下には大きな淵がある。両岸はノッペラボーで足場はない。また、沢下りできないところへ降りてしまったようだ。日は相当傾いてきた。ジュウイチッ、ジュウイチッ、と、かすれ声でジュウイチが鳴いている。この鳥はカッコウ科の鳥で日暮れになると鳴きはじめ、夜中じゅう鳴く鳥だ。なんとなく気味の悪い鳴きかたをする。オー、オー、オワアオー、ワオワアー、という不気味な鳴き声も聞こえる。アオバトだ。これも夕方になると鳴き出すのだ。耳をすますとポォッ、ポォッとツツドリの声も聞こえる。無事に林道へ降りれるだろうかと不安がよぎる。
今降りてきた崖を再び登ってもう一度見極めなければならない。まてよ、少し上って内側に大きく湾曲した崖の斜面を横に進むと次の尾根に辿り着けるかも知れない。双眼鏡で崖の斜面を拡大して見ると、横に進むには、あまりにも手がかりとなる樹木が少ない。転落したら深い淵に落ちるだろう。しかし、また元の位置まで上るのはあまりにも体力が消耗しきっている。そこで危険ではあるが、少し上って湾曲したがけの斜面を横に進み、淵尻に下りてみようと立ちあがった。
深く湾曲した崖は、漆喰のように黒く、湧き水が滴り落ちて濡れている。木の根を探してはつかまりしながら足場を選びつつ移動して行く。崖の途中に大きな根を張って斜めに立っているカエデがあり、その根元まで辿りついた。その時、先ほどまで足場にして立っていた岩が突然動きだして大きな音をたてて落下した。淵にぽっかりとした大穴を瞬間的に空け水しぶきを吹き上げてドボーンという音が響いた。おおくわばらくわばら。そこから先は、1歩も先にすすめないところに来てしまった。どうしょう。不安が襲った。
思い出して、リュックから細紐とロープを取り出した。釣竿に仕込んだ杖の先端に錘のついたナイフを取り付け、それに細紐を結わえて崖の斜め頭上にある木の根元めがけてそろそろと繰出す。先端を「えい」とばかりに木の根元に向って振り当てたら錘のついたナイフに細紐を結わえた先端部分が竿から離れて木の根を越えてするすると落ちてきた。今度は、その細紐にロープを繋ぎ逆に引き回すとそのロープは木の根を回って手元にしっかりと手繰り寄せられた。この二本のロープをしっかりつかむと足場のない崖でも移動できるのだ。用意してきてよかった。こうして、次の岩場のでっぱりの上に立つことができた。淵に落ちこまずになんとか移動できたのである。
そのでっぱりの岩の上から曲がった沢の隙間に林道が見えた。もうすぐだ。けれども、淵尻から更に落下している曝の上は移動が困難である。一先ず淵尻の川原におりて休息。曝の上を谷渡りすることにした。対岸の方がそこを過ぎれば足場がよくなるのだ。対岸に飛び渡ればつま先のかかる岩があちこちに見える。えい、ままよとばかり対岸に飛び渡って崖の潅木をつかみながら足場を探りそろそろと移動していると平地が足の下にきた。やっと安心して飛び降りる。崖から抜け出し平地の上に立つ安心感はとても癒されるものだ。そうだ、幻の滝探険の時もこんな気分を味わったなあと思い出す。川原を下るとようやく林道の上に立つことが出来た。
摩訶不思議な現象
林道に出てみると谷を跨ぐ林道の構造物は消えている。自然は人間の造った物は不用だとばかりに完全に破壊しているようだ。谷の先の尾根を回った林道の終点部分だけが残っていた。もう長い年月利用されていないのだろう。林道はずたずたになっている。
壊れた林道の端には蜜箱が据わっている。よく見ると蜜蜂が巣箱の中に出入りしているが、その出入り口の穴は、動物の歯型があり大きく食いちぎられている。テンが蜂蜜を獲っているのだ。それでも蜜蜂はまだ営巣している。これも自然のままである。巣箱を据えた人間がもう長いこと管理に来ないのだろう。
林道に出たことでとても安心感があった。更にこの谷を下ると日肥谷との合流点に達するが、おそらく当時はこの谷は通らなかったということがわかった。あまりにも険し過ぎるのである。無線を取り出して、近くまで車で迎えにきているはずの吉村君コールを繰返すが応答がない。プライベートな用事があるといっていたので出発が遅れたのか。昨年の調査時は、ここから3つ目の尾根までは車で来れたのである。沢下りはこれまでとして林道を辿ることにした。そこまで歩いて行くうちには来てくれるはずだ。
先ずは休息をと林道路肩のブロック積みのコンクリートの上に座り込み、食べ残しのバナナを取り出して食べていると、降りてきた沢の左にある小さな沢の水が濁っているのに気付いた。
「おかしいなあ」。不思議に思って立ちあがり、流れ落ちる水のところへ行って水を手で掬ってみる。白い濁りだ。かなりの濁り方である。人も入らないこの深山に何があるのだろうか。なんだか不気味である。そこで、はっとした。もしかしたら地震があったのだろうか。沢下りに夢中になって地震に気が付かなかったのかもしれない。淵の上で岩が落ちたのはそのせいか?。付近の山々を見渡すが何も変化はない。しかし、それにしてはどうもこの沢だけというのがおかしい。
次にいくつかの場面が脳裏に浮かんだ。最初に浮かんだのは鹿たち数十頭が群れて谷の深みで水浴している場面である。しかし、そんなことは猟師からも聞いたことがない。ニタバは何度か見たが、あれは流れの中ではなくて尾根にある泥の水溜りである。背中に泥をこすり付けているのだ。
次に浮かんだのは、猪が沢蟹をとっている情景である。沢の大きな石を鼻で掘り起こし、その下に隠れている沢蟹やサンショウウオなどを食べるのだ。それにしては、かなり前から濁っているようで川底に濁りの泥が沈殿している。
次に突拍子もない発想が脳裏をよぎった。大蛇である。この上に洞窟があり、その中で大蛇が交尾してあばれているのではないか。あとから考えるとほんとにあほらしい発想であるが、沢下りの時、アオダイショウに脅かされたせいかもしれない。とにかく上流へ登って原因を突き止めようと、その小さな沢の左岸を上り始めた。
沢は、一枚岩で階段状になっている。二段目まではどうにか上ったがその上は垂直な崖となっている。もう少し迂回してでも上ればその上には、始めて見る光景が現われるかもしれない。と、思うが体力をひどく消耗していてその気力が失せる。そして怖いもの見たさと恐ろしさが交錯する。とうとう断念してしまった。後から思うと悔しい。やはり1人では怖かったのか。それが今回の行程の唯一の心残りとなった。原因不明のままだ。摩訶不思議な現象であった。
日肥谷の竹林
諦めて林道をとことこ歩く。法面はあちこちで崩壊している。路面には大きな転石がごろごろしている。やがて林道は尾根に出た。無線を何度もコールするがくだんの吉村君の応答はない。そのまま進んでいくと、あと二つ谷に入り尾根を越えれば車上の人になれるのだ。それまでともかく歩くしかない。やがて二つ目の尾根にでた。その尾根は石灰岩で昨年ガゴが岩屋を調査した地点だ。その時キリタチヤマザクラがこの付近一帯にもあることがわかったのである。そして、また一つ尾根を越え次の谷に入り込んだ。もう車がここまで来るはずである。無線でコールするが応答がないのでここで待とうと腰をおろす。
地形図を見るとその谷は日肥谷である。日肥峠から降りてきた昔の歩道があった谷だ。あの時はここを通ったかも知れないのだ。この上にはハチクの竹林があり、平地があるはずである。その地点を確認しようと思い立った。
林道にリュックを置けば、迎えの車は気が付くだろう。せっかくだから車が来る間、日肥谷の竹林のあった場所を探そう。スズタケに覆われた古道を探しながら遡上することにした。
500m位上がっただろうか。息を切らしながら登ると平坦地が現われた。注意してみるとハチクの細い竹が少し残っている。かつてガゴが岩屋にきた時は大きな竹が林立していた。けれども地形的には面影がある。竹林に足を踏み入れてみた。すると茶碗のかけらや昔の徳利、鍋の破片などがあちこちに落ち葉の中に埋まっているのが見える。まさにつわものどもの夢の跡である。やはりここだ。カメラをとりだしてシャッターを切った。
大正から昭和にかけて日肥林業の1工場といわれる場所である。2工場は、この下の白岩谷との合流地点でそこには孟宗竹があったといわれる。霧立山地の天然林にハチクや孟宗竹が自生するはずはない。竹は人の暮らしになくてはならないものだ。特に手作りの工作物にはタケベラやタケヒゴなど欠かせない。竹の子は食用となる。竹は人間が運んで植えたのだ。
今は細い竹が少し残っているのみで消滅しつつある。これは鹿や猪のせいだろう。竹の子が生えると片っ端から食べつくしたのだ。食べつくした後、季節はずれに出る小さな竹の子だけがかろうじて獣たちのえじきにならずに細々と種を保存しているのだ。人間が居る時は獣から竹の子は守られるので竹林は繁殖する。人間が住まなくなると竹林は消えていく。
ガゴが岩屋は発見できなかったが竹林を確認できたことでこれからの調査範囲はかなり絞られた。白岩谷の崖の上の岩峰基底部と、この竹林を結んだ線上のホーバのどこかだ。ホーバとはスズタケのない場所のことでカゴが岩屋付近にはスズタケがなかったのである。または、下流の白岩谷との合流地点付近かも知れない。竹林からそんなに遠くはなかったように記憶にはある。
時計を見ると既に待ち合わせ予定の4時を大きく回り5時前になっている。大急ぎで林道に下山し無線でコールする。応答がない。もしかすると迎えに来る途中でなにかトラブルがあったのかも知れない。パンクだってありうる。ときおり無線に「ガガッ、ガガッ」とノイズが入る。雷かもしれない。この下流から国見岳に向う古道に雷坂という地名が載っている。その方角は霧に覆われてきた。落雷の多いことからそう呼ばれたのかもしれない。疲れた足を引きづりながら歩を早めて落石がごろごろしている林道をひたすら歩く。
次の尾根に出た。すると無線に反応があった。吉村君が盛んにコールしているのだ。「ここだ、ここだ、日肥谷の次の尾根だ。」すると吉村君は「まあだそこですか。椎矢林道から少し入ったところに崖崩れがあり車は入りません。もう30分ほど歩いてきているところ」という。「目印は」というと「2つ目の尾根のところ、林道の上側植林地が崩れて地肌が剥き出しになっているところが見えます」という。その下に私はいるのだ。あと尾根を2つも越えて更に30分も歩かなければ車上の人にはなれない。どっと疲れが噴き出した。リュックがとても重い。足を引きづりながらてくてくと歩く。
やがていつくか目の谷に曲がり込んだ。「今どこだ」と無線に向って叫んだ。「谷に入ってきたとこ」と無線から聞こえる。正面をみたらそこに吉村君が無線に向ってしゃべりながら歩いてくる姿があった。荷物を渡して足を引きづりながらどうにか車のところへたどりついた。あたりはもう既に夕暮れ色に包まれている。ここから椎葉に降りるまで車で1時間かかった。椎葉では夜のとばりが降りて電灯の明かりが青葉の中に映えていた。(完)